姉の運転する車の助手席で、ぼーっと窓の外の雪を見ていた。

「ね、そういえばさ、哲哉くんだっけ?あんたと付き合ってた子。

地元じゃすごい有名人だよー!」

「そうらしいね。」

窓に額をくっつけたまま答えたのは、表情を見られたくなかったからだ。

「あんときサインでももらっときゃよかったって家で話してんのよー!」

「じゃあ、いつか会うことあったらもらっとくね。」

「ほんとに?!ゆーちゃん、約束だからね!2月がんばってきてよぉ!」

「わかった・・・ってお姉ちゃん、2月って何よ?!」

「ほら、これ!」

運転しながら、左手を私の前に突き出す。その手には1枚のハガキ。

「なに、これ・・・?」

「いいから見てみなさいよ。」

印字された機械的な美しさの文字の横にある汚い筆跡は、間違いなく

仁科のものだ。

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N高サッカー部82期OB会のお知らせ

みなさん!超久しぶり。

元N高サッカー部82期の仁科貴久だよ。

突然ですがそろそろOB会やんねーかなと思いましてみんなに連絡して

まっす!

女の子いねーとつまんねーから、S女の当時絡んでた子たちにも召集

かけるぞ~

▲月☆日 18時~

場所は高校の頃から打ち上げで世話になってる小山ん家です!

つーわけでみんな来い!命令!

ちなみに、今じゃ地元のセレブ?に成り果てた哲哉も来るぞ!

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「ゆーちゃん、いくでしょ?」

「え・・・」

言葉を濁した私に構うことなく、姉は喋り続ける。

思い出としててっちゃんの事を考えているとき、切ない甘い痛みが胸に走る。

過ぎてしまった過去は、いつだって美しいから。

けれど、それが「今」になると話は違ってくる。


今、私はてっちゃんに、また会いたいのか、会いたくないのか。

自分の気持ちが全然分からない。

新しい気持ちで、新しい土地へここから旅立ったはずなのに、
心だけはずっと昔の想いを引きずったまま。
きっと、早く想いは断ち切らなきゃいけないのだと思う。
それでも、それが出来ないのはどうしてなんだろう。
たまに、てっちゃん以上の男現れればいいのに! って思ったりする。
でも、何かが違う。


きっと私は、まだまだ……、

てっちゃんが好きなんだろう。


彼女がいるかもしれないと知った今でも。



「カーン カーン」
そんな懐かしい気持ちを打ち消すように、駅にある大きな鐘が鳴った。


「もう2時じゃん。お姉の迎えまだかなー」

つぶやく言葉はあの頃と同じ。


「てっちゃんまだかなー」

この駅で数え切れないくらい待ち合わせをした。
部活で遅いてっちゃんを待つのはいつも私の役目。

でも待つのは嫌いじゃなかった。

サッカーをしている姿のてっちゃんを想像したり、

会って一番に言う言葉は何にしようかなーと考えてシュミレーションしたり、

数学の真島先生のモノマネをおもしろいから見せたいけど、

やっぱり恥ずかしいから今日もそれはナシかなーとか。

待ってる時間も、恋の時間には変わりなかったから。そんな時間も幸せだった。
なのに、その思い出の場所に私は今一人で立っている。

てっちゃんは、冷たい看板の向こう側にいるのだ。


駅についてから20分後、やっとお姉ちゃんの迎えの車がきた。


「プップー。ゆーちゃーん!」
「お姉、遅いよー」
「ごめんねー。道すべるから慎重にきたのさ(笑)」


切なさでいっぱいになりそうだった心が一瞬で解ける。

お姉ちゃんの前で、私はちょっと東京慣れした「桐橋ユリ」になった。

てっちゃんを「元カレ」って呼べちゃう、そんな妹に戻っていた。


「ゆうちゃん、ちょっと痩せたんじゃなーい?

 お母さん、張り切ってご飯作るってさ。まっすぐ家いくでしょ?」
「うん。いくいく」
「では、出発しま~す!」


お姉ちゃんが運転する車が、どんどん駅から離れていく。

てっちゃんの思い出と、私を引き裂くかのように。


つづく


地元の駅には、思ったよりもとても早く着いた。

着くまでには読み終わるだろうと思っていた薄い文庫本は、半分も読み終えることが

できなかった。


こんな、あっという間の距離なのに。

今はそう思えるけれど、少し前まで東京と地元はとてもとても遠い世界だと思い込んでいた。

大事な人さえ手放さなければならないほど、遠い世界だと。


降り立った駅のホーム、改札を出たところで、わたしは立ち止まった。

手に持っていた、エルメスのフール・トゥをもう少しで落としてしまいそうだった。

「てっちゃん・・・」


大きな宣伝用の看板、地元の大学の広告の隣にはやはり、J1に昇格した地元の

サッカーチームの広告がでかでかと張り出されていた。


黄色を基調にしたユニフォーム姿の選手達が肩を組んで、前かがみになってずらっと

整列しているその中に、てっちゃんがいた。

真剣な表情で、こっちをじっと見据えているように見えるその表情は、何度も応援に行った

サッカーの試合でよく見たものだった。


一番よく覚えているのは、県大の決勝の日。この試合に勝てば全国に行けるという大事な試合は、

最初から最後まで、雨に降られていた。それも、かなりの。


正直、応援するのもかなり辛かった。だから、プレーする方はもっと大変だったんだと思う。

自分でも「似合うっしょ」と笑いながらよく言っていた黒と白の太いストライプのユニフォームは泥

だらけで、その上雨でびしょびしょに濡れいていた。

雨が大嫌いのくせに、試合となるとそんなことにはお構いなしにボールを追って走るてっちゃんは

文句なしにかっこよかった。試合では、いつもはふざけてばかりのてっちゃんの、真剣な表情や夢

に対する熱い思いに触れることができるから、わたしは応援に行くのが好きだった。


2-1で勝ち、全国行きが決まった瞬間、わたしの所へ来て

「ユリ~!!俺らこれで全国行けるぞ~!!!!」

泥だらけのままでわたしに抱きついてきたから、わたしの制服まで泥だらけになって。

そのまま2人、お互いの姿を笑いあいながら、家へ帰ったっけ・・・


看板の前から立ち去ることができないわたしの前を、この街の冬には不似合いなほどスカート

を短くした女子高生がおしゃべりしながら2人通りすぎた。


『ねー、こないだのグランソルの試合見たぁ? 玉木哲哉、超かっこよかったよね!』

『見た見たぁ! あの人って、たしかN高の出身らしいじゃん』


女子高生のおしゃべりが耳に入り、その瞬間に思い出は、ぱちんとはじけて消えた。

あの頃、この街にはてっちゃんの隣で笑うわたしが確かにいた。

けれど、それは今じゃない。どんなに懐かしく思っても、もう戻れない。











新宿駅の改札を抜けてホームに向かう途中の人混みに、

仲良さそうなカップルを見つけた。

手をつないで、笑いあって…、幸せそうな二人。
私と同じ歳くらいにみえる。


そんな幸せそうな人をみて、無償にイライラしてしまう性格は未だに直らない。

上京したてのときは、親しげなカップルを見るたび、自分とてっちゃんを重ねた。
仁科のメールを読んでからは、

「なんで私は好きな人と一緒にじゃないんだろう」

という行き場のない思いをぐるぐるさせた。


「はぁ…」
東京の空気と混ざるようにためいきをつく。


軽く酔いの残る頭でぼぉっと電光掲示板をみてから、

ちょうど来ていた急行電車に飛び乗った。

ギュウギュウの車内でドアにもたれかかり、

気持ち悪そうにしているサラリーマンが目に入った。


近くに立つ人たちの「オメー吐くなよ」って目線がイタイ。
それに気づかないサラリーマンのオヤジも…、なんかイタかった。


--


新宿から急行で20分、神奈川よりの小さな町に私の住むアパートはある。
満員電車から吐き出され、私は改札をくぐりアパートがある方の南口へと出た。

目の前に広がった景色はとても幻想的で、パラパラと降る雪を街灯が照らしていた。
それは、私が東京で見たはじめての雪だった。


ロマンチックな気分もつかの間、同じ電車から降りたらしい

サラリーマンが駅前の自販機前で苦しそうに吐いていた。
ロマンチックな雰囲気、一気にぶち壊し…。


忘年会シーズンだからきっと飲みすぎだよ、オッサン。

声にならない声でそっとつぶやいてみる。
ちょうど父親と同じ歳くらいのサラリーマンにみえた。


バッグからハンカチを出して、自販機でペットボトルの水を買った。

サラリーマンに近づき、「どうぞ」と言う。

そんな「いい子ちゃん」の自分の姿だけを想像して、

「ゲェゲェ」という声を背に雪の中私はアパートへと帰っていった。


家に着く直前で、ポケットに入っていた携帯電話のバイブが鳴った。


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ユリちゃ~ん。今日はお疲れデシタ(>_<)!
次会うのって、きっと来年(笑)?
確か、一発目のシフト一緒だった気がするから、

またよろしくね~(^o^)/


明日から、実家だっけ??
二日酔いで新幹線で具合悪くなるなよー(笑)


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麻里さんからのメールだった。
返事を手早く打って、時計を見るともう0時をまわっていた。


明日の今頃、私は実家にいる。
そう、てっちゃんとの思い出がつまった、あの街に…。


つづく…

てっちゃんと初めて会ったのは、高2の夏。


友達と行った、隣の男子校の学祭でナンパされたのがきっかけだった。

チャラい感じの友達の横で、居心地が悪そうに、むっつりして腕組みを

していたてっちゃんの姿は、今でもときどき夢に出てくる。


背が高くて、色が黒くて、長めの茶色い髪をしていた。

最初は、ただのチャラ男だと思っていたけど、仲良くなるにつれて、てっちゃん

のことをどんどん好きになっていった。


色が黒いのは、日サロ通いじゃなくてサッカー部の練習ばかりしているからだってこと。

動物が大好きで、じつはデートは動物園に行くのが一番好きなこと。

サッカー選手になりたいって、本気で思っていること。


そんなてっちゃんの、すべてがいとおしくて、とても大切だった。


「男友達はたくさんいるのがいいけど、女は1人いればいい」

わたしのくだらない嫉妬が原因でケンカしたとき、私の目をまっすぐに見つめて

てっちゃんが言ったこの一言が、今でも忘れられない。

わたしは嬉しくて泣いたっけ。


幸せな時間は、不思議な力に守られているようだ。

けれど、もう一回と願うと、それは途端にとても複雑になってしまう。


あのてっちゃんの優しい笑顔や、いつもあたたかい手が、今はもう、わたし以外の誰かへ向けられている、

そう思うと胸が痛んだ。


夢を追いかけたくて、てっちゃんから離れたのはわたしなのに。

自分の身勝手さに、苦笑した。




「お疲れっしたー」
「じゃーねー」


先輩たちに手を振って、私は駅に向かって歩き出した。

12月の風は冷たく澄んでいて気持ちがいい。
今日はバイト先の先輩たちとささやかな忘年会だった。


千恵ちゃんが厨房の志村さんを好きだということが発覚し

(千恵ちゃんは、好きじゃなくて気になる程度だって何度も言ってたけど) 、

店長が他のチェーン店の女従業員とできてるらしいという噂で盛り上がった。


同じ短大に通う麻里さんには、彼氏の写メを見せてもらった。
W大の4年生で、銀行への内定が決まっている彼氏らしい。


「短大を卒業したら結婚する約束なんだ」と、

はしゃぎながら言っていて先輩かわいいなと思ったけど、

付き合ってまだ三ヶ月だからのろけてるだけなんじゃないか?という本心は隠した。


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東京に来て八ヶ月が経った。思ったことを何でも口に出してはいけない、ということを知り、

気をつかう事にも慣れて自分なりに「うまく」生きられるように成長したと思う。


あと、数ヵ月であれから一年が経とうとするけど、

上京してくるときに、「東京いくから」と言ったときの、

てっちゃんの驚いた顔が今でも忘れられない。


「なんで?」って想いと「じゃあオレ達お別れだね」ということを察知したような、

なんとも言えない複雑な表情をされて、こっちも嫌な気分になった。


「別にてっちゃんが嫌いになったわけじゃないんだけど、自分の夢を追い掛けるのもいいかなって思って…」


そんな気持ちを最後まで言えずに、

「オレも東京いくよ」という淡い期待も虚しく散ったお陰で、てっちゃんとサヨナラをした。


ぶっちゃけ、今でもてっちゃんのことを忘れられない。

初めての彼氏。付き合った一年間は今でも大事な思い出だ。


でも、てっちゃんは今、後輩と付き合ってるらしい。そんな余計な情報を仁科がメールしてきたのは、梅雨どきの6月末くらいだったっけ……。


つづく